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3-4.精神科って楽しいかも [留学]

3-4.精神科って楽しいかも

柄にもなくわけのわからない難しいことを考えないで、素直に精神科医として、例えば精神病院で働けば、何も難しいことは無かったのだが、精神症状で苦しんでいる患者さんが精神疾患に罹患しているという理由だけで通常の身体的な治療を受けられない、という事実を何度も目の当たりにしたため、本来怠惰で自堕落な私ではあったのだが、志を曲げずに何とか道を見つけようと努力し続けた。書いていると恥ずかしい。嘘のようだが本当だ。ずいぶんたくさんの先輩方、もしくは優秀な同僚たちが力を貸したり、相談に乗ったりしてくれたものだ。私は心を固くして近視眼的になっていたが、周囲を見回すと、研究に没頭して大学や研究所にポジションを見つけようとする人、開業などの道を選んで自由で裕福な生活を手に入れようとする人などがいた。開業する人の中には、必ずしも経済的な利潤を求めず、損をしてでも自らの信ずる治療を展開していこうとする人などもいた。立派な人、優秀な人、上手に立ち回る人、、、。私の周囲の医師たちのほとんどは私よりも優秀であったため、参考にはなったが私自身のロールモデルは見つからなかった。それではどうしたらよいのだろう。気合と愚直な思い込みと体力だけでそれまで業界を渡ってきた私の脳裏に、この時期に初めて“留学”という文字が浮かんだ。本当のことを言えば、若かりし頃は何の疑いもなく将来海外で仕事をするものだと思い込んでおり、そんな人生を望んでいたのだが、ある試みに派手に失敗し、夢破れ、幸いにして医師となり、医師としての仕事にやりがいと誇りを感じるようになり、そのころまでには一医師として国内で一生過ごすつもりでいたのだ。しかし一通りの仕事をこなせる時期となり、進むべき道を見失ったときに、昔とは全く違った意味で再び“留学”を意識するようになった。意外な展開だった。だって私は精神科医で、英語なんてしゃべれない日本生まれの日本人なのだから、留学なんてできっこない。全然だめだ、というのが出発点だった。

4-1. 精神科の臨床留学って本当に実現可能なのだろうか? [留学]

4-1. 精神科の臨床留学って本当に実現可能なのだろうか?

領域を超えた医療を形にするために、だれに相談するでもなく、一人でいろいろとやってみた。しかし医学という特殊な世界の中にあって、たとえそれがささやかなものであったとしても、何の力も持たない私が独力でレールを敷くことは簡単ではなかった。考えてみれば当たり前だ。それで、先達が敷いてくれたレールのようなものを探してはみたのだが、なかなかみつからない。それらしきものをみつけても、簡単には仲間にしてもらえなかった。精神科の世界は、ドアを叩いて案内を乞う人に寛容であるように思うのだが、それ以外の領域は、ずいぶんハードルが高いようだった。少なくとも当時の私はそう感じさせられた。結局、数年を費やし、じたばたと悪戦苦闘を繰り返し、残念だがあきらめるしかないのかな、という結論に達した。しかしあきらめてしまうのはよいが、この先どうやって生きていけばいいのだろう?

体だけは丈夫なので、どこにいって何をしたとしても、なんとか食べてはいけるさ、といった根拠のない自信はあった。少しずつでも前に進んで自分がやってみたい医療に近づいていこう、と怪しい情熱を燃やした。自分がいる場所、日本でやりたいことができないなら、それを実際にやっている国を探してみようじゃないか。“やりたいことをやらせてもらえるのなら、どこにでも行ってみよう”という結論を出すまでに時間はかからなかった。どこに行けば“内科精神科医”になることができるのだろう。実際に何をどうすればいいのだろう。皆目見当もつかない。しかしなす術なく袋小路で苦しむよりましだ。

昔のことを詳しく覚えているわけではないが、最初にやってみたことは、私の身の回りにおられる先輩方について調べてみることだった。実際にいろいろとお話を伺って驚いた。先輩方の中には、なんと伝説のフルブライト奨学金を取得してアメリカで研究をした先生をはじめとして、イギリス、フランス、スウェーデン等、先進諸国の有名研究所、有名大学で研究成果を挙げられた、綺羅星のような先生方がたくさんおられることが分かった。文化として“臨床第一、患者さん第一に考えなさい”という医局ではあったのだが、やはり優秀な先輩方は気軽に世界に羽ばたいておられる。素晴らしい。しかしほとんどの方は研究のための留学であり、臨床のトレーニングを受けた方はおられないようだった。しかしよくよく話を伺ってみると、スイスにわたって精神分析のトレーニングを受けた方、カナダで家族療法の勉強をされた方、フランスで集団療法の勉強をされた方など、現地で精神科臨床に実際に携わった方がいないわけではない。私は先輩方ほど優秀ではないが、同じ人間だ、オレだって何とかなるさ、と、希望を持つことができた。

4-2. 精神科の臨床留学って本当に実現可能なのだろうか? [留学]

4-2. 精神科の臨床留学って本当に実現可能なのだろうか?

最初に調べてみたのは、確かドイツへの臨床留学の可能性だったように思う。私が研修した当時の日本の精神医学は、アメリカではなくドイツの精神医学を礎としていたため、ドイツの医学に対する憧れがあったのだと思う。世間は狭いもので(It’s a small world!)、少し調べてみると極めて身近にドイツで研究留学を経験された先輩がおられることが分かり、さらにさらに、数年前にお世話になった他科の指導医が、実はドイツで臨床研修を受けた経験をお持ちだということも知った。お話を伺わない手はない。お願いして時間をいただき、いろいろと教えていただいた。ドイツに国際電話をかけ、なんだか難しげな話を楽しそうにされている先生は、私の憧れそのものだった。その先生からの情報では、“日本の医師免許はドイツでそのまま通用するので、言葉の問題さえなければすぐにドイツの医者になれる可能性がある”とのことだった。本当か?(確認は現在に至るまでとっていない。興味のある方はご自分で)しかしドイツでは講義も臨床も英語ではなくドイツ語で行われるのは当然だ。私はといえば、大学ではドイツ語の先生と喧嘩して教室から追い出されてしまい(実話。立派な先生だったので悪いのは私)、しかたなくフランス語を選択しており、学生時代に身につけた僅かばかりの知識は当然忘却の彼方だ。いい歳をしてドイツ語をゼロから始めるのは現実的ではない。深く考える前にこの選択肢は捨て去った。

その次に考えたのは、GP(General Practitioner)の国、イギリスだった。やはりこの国に研究留学をした先輩が数人おられたので、お話を伺い、某有名教育機関にご紹介いただけるというありがたいお話をいただいた。それで早速、慣れないEメールを使ってコンタクトを取ってみたのだが(Windows 3.1の時代だった)、先方からのお返事は次のようなものだった。“受け入れは可能、まずは研究から、学費を払っていただきます”と。それで学費がいくらなのか伺ってみたところ、当時のお金で年間300万円相当ということであった。背に腹は代えられないので、とりあえずお金を払って、イギリスに渡ってから考えるのも一つの手かもしれない、という気にもなったのだが、結局この選択肢も使わないことにした。

4-3. 精神科の臨床留学って本当に実現可能なのだろうか? [留学]

4-3. 精神科の臨床留学って本当に実現可能なのだろうか?

同じようなことを繰り返してだんだん慣れてきたので、英語圏で家庭医のようなアプローチで私の希望を実現できるような場所を探してみた。浮かび上がってきたのがオーストラリアだった。この国に留学した経験を持つ先輩は不幸にしておられなかったので、全て自分で調べ上げて話を進めていくしかない。私は家族を連れて何度かこの国を訪れており、ちょっと訛りのきつい英語にも何とか対応できるような気がしていたので、気軽に関係機関に連絡を取った。私のようなどこの馬の骨とも知れない個人に対して、極めて誠実な反応が返ってきた。緊張はしたが、たいへん嬉しかった。相手方からの反応は極めて迅速かつ友好的であり、内容的にはこんな感じだった。“オーストラリアで医療に携わることを希望するなら、日本の医師であるあなたにも可能性はある”“まず定められた英語の試験を受けてほしい”“チャンスは一度だけ”“合格したら次は医学の試験”“基礎と臨床の試験があり、各々チャンスは一度だけ”“全ての試験に合格すれば、あなたは晴れて我が国の医師として認められる”。これにはかなりの魅力を感じた。オーストラリアの医療は、おそらく世界で最先端ということは無いだろうが(オーストラリアの先生方すみません)、少なくとも家庭医のような形で私の希望を(あえて夢とは呼ばない)実現することはできそうだ。オーストラリアに臨床研修をしに行く、というレールを、独力で切り開いていくかどうか真剣に考えていたとき、私は同時にアメリカへの臨床留学の可能性を調べ始めていた。

5-1. 精神科医としての成長について [留学]

5-1. 精神科医としての成長について

書き忘れたことがったので、まとまらないかもしれないが重複をおそれずに忘れないうちに書いておこうと思う。

若かりし頃の私は、ずいぶんたくさんの患者さんをお世話していた。仕事以外のことにはあまり興味もなく(宴会は除く)仕事漬けの毎日を“堪能”していた。思えば家族にはずいぶんと迷惑をかけてきた。今から思えばもう少しゆとりを作って勉強した方がよりレベルの高い臨床活動が出来たようにも思うのだが、当時は自分が置かれた状況を客観的にとらえることが出来ていなかった。与えられた仕事を精一杯こなす、というか、外来や病棟にくる患者さんをとにかく頑張ってお世話して、おかれた状況でベストを尽くす、それでいいと思い決めていた。今思えば“甘ちゃん”だった。

国公立の多忙な病院で研修を積んで育った私のような医師は、よく大学などで研修してアカデミックな背景を持つ医師たちから“手ばかり動く医者になってしまって、、、”と揶揄されたものだが、私のような立場の医師は、彼らを“頭でっかちで口ばかり”とやり返していた。しかし現場でできるだけたくさんの患者さんをお世話して、、、というやり方を続けていると、やがて限界が来る、というか、主観的な“プラトー”に達してしまうことが多いようだ。私の場合もそうだった。具体的には、心身ともに疲弊して、、、というわけではなく、たいていの患者さんをそれなりのレベルでケアすることは出来るのだが、やることなすことがルーチン化してしまって、医療の質が向上する速度が遅くなる、といったようなことであろうかと思う。

私が当時短期間ではあるがお世話になった先輩は、“精神科医の進歩は二峰性”と言っておられた。その意味は、仕事を始めた数年間は、それこそ何も知らないので、毎日が進歩の連続であるのは言うまでもないが(誠実に働くのが前提)、一定の年月を経ると、進歩の速度が当然遅くなる。この段階で努力をやめてしまって、一生そのままだらだらと仕事を続ける精神科医が非常に多いのだが、実はこの先に、少なくとももう一段階、医師として成長するチャンスがある、というようなお話だった。このことはいつも私の心の片隅に引っかかっており、10年ほど修行を続けた私は、お恥ずかしい話だが、一つ目の峰を超えてしまったような気がしていた。つまり、同じようなことを続けていても、大きな進歩は望めないのではないか、と思いあがっていたのだ。“たいていの患者さんはなんとかすることが出来る”という自信があり、実際評判は悪くなかったように思うのだが、私が毎日携わっている患者さんの治療が何故うまくいくのか、ということをきちんと体系立てて論理的に説明して後進に伝えることは出来なかった。職人としては悪くないが、医師としてはこのままでは不十分なのではないか、何かが足りないのではないか、と感じるようになって苦しみ始めた。

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