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4-4. 精神科の臨床留学って本当に実現可能なのだろうか? [留学]

4-4. 精神科の臨床留学って本当に実現可能なのだろうか?


数年放置したこのブログだが、また暇を見て手を入れてみようと思う。帰国した際は本でも書いてやろうなどと意気込んでいたのだがこの体たらくだ。昔の記事を読み直してみると、、、っと。そうか、オーストラリアに留学しようと思ったところまで書いたんだっけ。そうかそうか。そのあとどうしたんだっけ?おおそうか、今度はアメリカか。少しずつ書いてみよう。まだ覚えているかな。読んでくれる人いるかな?

アメリカへの留学の可能性について、以前に考えてみなかったわけではない。なにやら難しい試験をたくさん受ければとにかく大丈夫、とか、アメリカの医学生たちは自分たちだけで情報を握っていて、外国からの医師の流入を防いでいる、とか。オクラハマノートとかいう秘密の参考書がある、とか。いろいろな情報を耳にして、アメリカでの臨床留学の可能性について考え、なんだかまぶしいような気持ちでいたように記憶している。憧れというか羨望というか。自分がそういったことに踏む出すことを考えただけで、ちょっと胸が苦しくなるような気がしていた。当時は。いつ本気になったのか、心の中で踏み切ったのかはあまり覚えていないのだが、臨床の場面での主観的な進歩が感じられなくなってしまったことが理由なのは間違いない。そうだそうだ、思い出した。最初は内科と精神科の境界領域を学ぼうと考えていたんだっけ。若かりし頃の上級医で、神経内科と精神科の境界領域を深堀してみたい、とおっしゃっていた先生がいた。一緒にやらせていただいていた頃はいろいろと反目して失礼なことを言ったりしたのだが、やっぱりずいぶん影響を受けていたんだろう。K先生ありがとうございました。それで内科の勉強をやり直し始めたりしたんだったっけ。

幸いにして月に何度か研究日のような時間を与えられたため、ただ働きを前提として、内科領域の手技をやり直したり、特殊な技術を学んだりした。特に深くCommitしたのは内視鏡だった。かなりの技量をもった上級医が身近におられたため、直接指導を受けることができたのが幸運だった。おそらく、ある程度以上の適性があったため(まあ自惚れだが)、短期間で技術が向上した実感があった。指導医からの評価も上々だった。上部消化管から始めて下部消化管の検査を任せていただけるようなところまで進み、これだけで生きて行ってもいいかなと感じるくらいまでのめりこんだ。内科医になることもずいぶん考えた。自分の技術が上がると患者さんの苦痛が減り、観察にしろ治療にしろ、できることがどんどん増えていくのが快感だったのだ。複数の病院で内視鏡を担当するところまでいったのだが、その時点で、患者さんから見た場合、自分のような医者に内視鏡検査~治療をして欲しいかどうかと考えだしてしまった。たまたま私の精神科の患者さんが内視鏡外来に訪れたことがあった。その際、患者さんはむしろ“安心して検査を受けられました”と感謝してくださったのだが、やはり自分が知っている精神科医から内視鏡検査を受けるのはおかしな体験なのではないだろうか。そんなことを考え考えしていた頃に、ある病院で私が精神科の専門医を持っていることが明らかとなってしまい、精神科の患者さんの診察を依頼されたり、複数の相談を受けたり、常勤になることを要求されたりして内科医としての業務が不可能となってしまった。その後、懲りずに、もしくは先輩方から勧められて、内科や麻酔科の専門医の資格を取ろうとしたこともあるのだが、おそらく何も変わらないだろう、つまり内的に満たされることはないだろうと感じて途中でやめてしまった。

内科と精神科の両方に通暁して、一人の人間が二つの領域の医療を同時に行うということがもし文字通り可能であるとしたら、それが患者さんにとっていい事なのかどうか?しばらくの間それが私のテーマになった。

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