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素晴らしい同僚たち 5. アメリカのお父さん [留学]

素晴らしい同僚たち 5. アメリカのお父さん

家を出て車に乗る、、、ここまでは日本にいるのと同じくらいリラックスしている。しかし車に乗りこみ、リモコンでガレージを開け、家から路上に出て運転を始めると戦闘態勢に入る。運転のマナーはよいが、古くてぼろぼろの車がたくさん走っており、走る車線は反対側だ。しかも右折するときは信号が赤でも注意深く曲がることが許されている、、、ぶつかってもat your own riskというやつだ。ウインカーとワイパーのスイッチも逆、シフトは右手で、、、、。幸いにしてアクセルとブレーキの並び方は同じだが、車の運転はやっぱり日本とはずいぶん違う。車を降りて駐車場に止め、病院までのバスに乗ればそこはもう異国の世界、、、。目に入ってくる情報は当然すべて英語であり、音も、色も、においも、風も、雰囲気も、全てがアメリカだ。知り合いに会ったりすれば、お愛想の一つも言わなくてはならない。Small Talkというやつだが、これはなかなか高等技術だ。さあ、今日も戦いだ。倒れるまで戦おう。

私は精神科の研修をアメリカで受けたわけだが、4年間の研修中に半年は内科をやらされる。指導医たちはたいてい私よりも年下で、なんだかとってもやる気がある。そういう人たちが“何?極東から来た精神科医だと?おれが1か月で立派な内科医に仕立て上げてやるぜ”かなんかいって、腕まくりをしてしごいてくれた。ずいぶん恥ずかしい思いもした。私は内科にも非常に興味を持っており、通常より長く研修を受けたほどなのだが、内科も精神科と同じで広く深く、いつまで研修を受けても達成感が得られることはなかった。アメリカでも同じだ。

病棟で内科の患者さんをケアしていたある日、中年の男性が(何の病気か忘れてしまった)病棟から逃げ出した、と小さな騒ぎになっていた。アメリカでは、患者さんが医者の指示を気に入らず、強引に退院してしまうことが珍しくないのだが、そういう時は医者は患者さんにAMA(against medical advice)の書類にサインさせる必要がある。そうしないと患者さんが亡くなった時などに家族が病院を訴えると裁判に負けてしまうからだ。アメリカにはそういった面倒くさいProcedureが沢山あり、書類を書くためだけに膨大な時間と労力が費やさされ、そのほとんどが研修医に回ってくるわけだ。このような“雑用”は、Scut Workと呼ばれる。すべてのScut Workを押し付けられるレジデントは、“北米大陸に残された最後の奴隷制度”などと呼ばれていた。(このあたりの事情は、結構面白いので機会を改めて書きたい)。

ともあれ、患者さんが無断退院、ということは、法律的にも医療経済的にも許されないため、誰かが患者さんを探しにいかなくてはならないわけなのだが、内科の研修で神経をすり減らしていた私は、患者さんに探索に立候補して大変喜ばれた。日本の精神科病棟から逃げて行った患者さんを探しあてた豊富な経験があるため、自信満々だったし、ちょっと息抜きの休憩をとりたかったという事情もある。それで、患者さんが喫煙者かどうか、酒飲みかどうかなどを聞き出したうえで、携帯電話をもって病棟を出た。

病院の敷地は喫煙全面禁止であり、病院のドアから数メーター以内の近接した場所で喫煙すると、病院に勤務している警察官に捕まるので、患者さんたちは病院の敷地では喫煙しない。地域の人たちにとっては常識だ。私が捜していた患者さんは、ヘビースモーカーであることがわかっていたため、喫煙者が沢山、まるで大麻でもやっているかのように難しい顔をしてタバコを吸うために集っている、病院からほど近い場所に行って、のんびりと患者さんを待っていた。しばらくすると、彼はてくてくと歩いてやってきて、小柄な彼は、地べたに座り込んで煙草を取り出すと、ライターで火をつけて美味しそうに吸いだした。ビンゴだ。

“で、どうしたの?” と話を切り出したところ、
“な、何でも、、”と動揺している。勝負ありだ。

先方は私が研修医であることをきちんと認識しているようだった。それでいつも精神科病棟から逃げ出した患者さんと一緒にするように、一緒に座り込んで世間話を決め込んだ。これは私にとってはお手の物だ。

彼の病気の治療の話は避け、抜け出したことを叱ることも当然せず、彼の家族の話などをもっぱら聞かせてもらった。私の経験では、アメリカの人たちは自分の家族について話すことが大好きで、写真などを嬉しそうに見せながら口角泡を飛ばして喋り捲る人が多いように思われる。そうしてわかったことには、彼は血のつながらない男の子を一人養っているのだという。彼は男の子が一人でぶらぶらとしているのを見つけ、寂しそうにしているので声をかけて話をしたらしい。患者さんは多くを語りたがらないのであまり突っ込んだ話はしなかったが、結局その子供を家に連れて帰り、面倒を見るようになったそうな。それでその子供が“お父さん”と呼ぶようになったので、自然と自分も“息子”と呼ぶようになり、それ以来奥さんと二人で実の子供として育てているのだという。その子供バックグラウンドなどは、一切知らないとのことであった。おそらく本当の話だろう。たしか、“He called me dad and I called him my son,,, that’s it. No problem.”と言っていたように記憶している。彼は煙草を吸って盛大に煙を吐きながら、ウインクをしてアメリカ人特有の大げさな顔と体のジェスチャーで、迷子の子供と親子になった日のことを説明してくれた。法律的にどうなっているのか知らないが、おそらく何とかなるのだろう。

私は一言で言って感動した。アメリカの田舎で、あまりお金もなく、身なりも整わない、高等教育も受けておらず、病気をして健康にも恵まれず、それでも頑張って生きている小柄なお父さんが、こんなに広く大きな心を持っているなんて、、、。脳タリンなのかもしれないが、私はそうは感じなかった。心の広い、懐の広いアメリカの漢なのだと感じでちょっと尊敬した。その心の広さが、私に向けられるようなことはあまりなかったようだが、アメリカにはたくさん、こんな人たちがいるんだな、ということが肌で直接感じられ、この時ばかりはアメリカで仕事をしている自分が誇らしいような、すごく恵まれているような気がしてうれしかった。

その患者さんとはその後30分ほど座り込んで話したのだが、煙草を吸って落ち着いたせいなのか、結局病棟に戻って治療を続けるということになった。私は上級医や看護師からお褒めの言葉をいただいて鼻高々であったのだが、とんだところで日本でのトレーニング?の成果が生かされたわけだ。面白かった。

その患者さんとはその後も病棟で何度か言葉を交わしたように記憶しているが、こういうひとを“Big daddy”っていうのかしら?と感じた印象があまりにも強烈で、その後の会話の内容は全て忘れてしまった。あの小さな汗臭いしょぼくれた親父は、広い心を持っていたんだなあ、、、。

アメリカには、男女を問わず、BigなHeartを持った人がいるようだ。

研修中の厳しい毎日の中で出会った、心温まる、思い出の一つだ。
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