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ある日の出来事 クラークの Kathleen [留学]

クラークの Kathleen

病院で働いたことのある医療関係者なら、クラークといい関係を作ることが重要であることはご理解いただけよう。能力のあるクラークは、我々の仕事を上手にサポートし、不必要な雑用を減らしてくれる。しかし彼らを敵に回すと大変だ。あの手この手で意地悪を、、、まあこれはやめておこう。わかる人にはわかることだから。だよね?

私自身は比較的穏やかな性格 -少なくともごく最近までそうだった筈- なので、クラークと揉めたことは知る限り皆無だ。もちろん性格の悪い人、怠け者、能力のあまり高くない人など、様々なクラークたちと共労してきて、今現在もそうしているわけなのだが、米国在住中に強烈に印象に残っている人の話をしたい。それがKathleenだ。

Kathyと知り合ったのは、帰国する数年前だった。彼女は在郷軍人病院の精神科病棟で働く小柄な女性だった。私が住んでいた辺りはドイツ系とスカンジナビア系が入り混じっていた地域で、中心の都市部はドイツ系がおさえており、周辺の放牧地帯はスカンジナビア系が、と棲み分けがなされていた。私は都市部に住んでいたため、比較的小柄なドイツ系に交じって仕事をしていたが、Kathyもその一人であったのだと思う。

Kathyは小柄で、日本にいてもおかしくないくらいの、痩せた、目立たない女性だった。年のころはおそらく40歳くらい? 黙々と日々の仕事をこなし、米国には珍しい、多くを語らないが仕事のできる人だった。私も毎日の仕事に忙殺されていたので、彼女のことを気にするようなことは無かった。つまり私にとっては意識下に沈んでいるような、あまり関係を意識するようなことのない同僚の一人だったわけだ。こういう人って日本では好かれるように思うが、米国ではあまり評価されていないように個人的には感じている。ある日、仕事のことで話をする必要に迫られ、彼女に近づいてしげしげと観察してみたところ、彼女はキョーレツな美人であることに気が付かされた。私の目に映る“美”と、現地での“美”の基準はかなり違うように思われるが、少なくともなんというか、女性の造形として、かなり高いレベルで“美”を体現しているような女性だったと思われる。このような表現が失礼に当たったらお詫びするが。身なりに気を使わない、あまりはっきりとした自己主張をせずに黙々と仕事をこなす彼女は、私の中で徐々に無色の存在から好ましい存在に変わっていったようだ。

しげしげとにっこり微笑んでいる彼女を眺めると(これも考えようによっては失礼だけれどね)、彼女はブロンドの髪を長く伸ばし、多くの場合きっちりとそれを編上げていた。束ねていたり、放り投げるようになびかせてみたりこともあるが、編み上げがお気に入りだったようだ。アジア人のオヤジである私から見ると、当時のKathyは中世のお姫様みたいで、アジア人と比較して多くの場合年齢を重ねているように見える米国人であるにもかかわらず、とても40歳には見えなかった。せいぜい30代くらい?ぱっちりと見開かれた大きな(まあ西欧人の場合これは当たり前か)目は、長い金色のまつ毛に彩られて、常に穏やかな微笑みを浮かべており、瞳は薄い水色、まるでガラス玉みたいだった。彼女が怒っているところは一度も見たことがない。日本のオヤジ的な表現をすれば、彼女はちょっとトウが立ってはいるが、まるで“フランス人形“そのもののような女性だった。笑ってもらって構わないが、本当にそう感じたのだから仕方がない。私はオヤジなので、女性に点が甘くなることは差し引いて考えてもらって構わないけれど。真っ白な肌はさすがに透き通るみたい、とはいかなかったが、これには後述するような理由もあったのだ。Kathyは好奇心が強いこの国の中年女性らしく、例外的に巨大なアジアの男性である私に興味津々で、いろんなことを尋ねてきた。意外なことに日本のことはよく知っており、少なくとも日本が中国大陸の半島ではないことはしっかりとわかってくれていて、話していて安心できた。学歴など詳しい話は知らないが、なぜか知的な雰囲気も漂っていたように記憶している。この人は、最初から私のことを”外国から来た短期間だけの同僚“ではなく、自分と同じ”米国人“として遇してくれたことが印象的だった。まあ確かに、同じ文化の中に住んで、税金を払って、下手でも同じ言葉を話すことを米国人の定義とすれば、その頃の私はその定義にしっかりと当てはまっていたようにも思うけれど。

彼女の話によれば、彼女は私の自宅に近い小高い大地のような場所に住んでおり、住宅地に這うように作られた道の袋小路に大きな土地を持っているのだという。大きな土地と言っても広大な草原が広がるばかりで、あまり偉くはない(たいへん失礼)連邦政府の職員のお給料で買えるくらいだから大したことは無い筈なのだが。その土地がCountyの公用地?のようなところに面しているため、家の敷地の周りにおかしな建物が建ったり、おかしな人が住んだりするようなことは無いのだ、と自慢していた。なんだかよくわからなかったが彼女がそういうのだから、おそらくそれはいいことなんだろうな、と思っていた。

そのKathyが、ある日突然私に相談を持ち掛けてきた。“ちょっとKJ、大変なのよ。聞いて聞いて”と。やはり好奇心の強さでは人後に落ちない私としては、“なになにどうした?”と答えざるを得ない。Kathyが言うには、防犯センサーを取り付けて気を付けていたのだが、昔の恋人(Ex-boy friend)が自宅に侵入して金目のものを漁っていったのだという。彼女はこのことにうすうす気づいており、物事の白黒をはっきりさせようとして防犯センサーをとりつけたのだ、と涙ながらに滔々と語る。しかし彼女がどんなところに住んでいるのか知らない私は、どう答えたらよいのかわからないので、精神科医としては(現地では俗語でShrinkと称する)詳しく訪ねざるを得ない。

彼女の話では、母屋は小さな木造で、当然中古で買ったのだという。昔の恋人は当然この家に何度も訪れているので、内部の構造を隅々まで知っており、どんな鍵がついているのかも当然熟知している。上記したが、庭は広大な草原となっており、芝刈りにはトラクターのような芝刈り機が必要なほどの広さなのだという。この先がこのお話の肝なのだが、母屋の隣にはなんと大きな“馬小屋”があり、馬を飼うことが趣味なのだという。ちょっと待ってくれ、この150㌢にも満たないお人形さんが、馬を飼うって、、冗談だろう?嘘はいけないウソは。しかし彼女はどうして自分の話を信じないのかと怒っている。なんなら家までこい、馬に乗せてやるから、と息巻いている。どうもこれは本当なのだろう。仕方ないのできちんと謝って機嫌を直してもらった。それでその馬の名前は?と聞くと、沢山いるので一度には言えない、と。ちょっと待て、沢山って、、、?ええ、12頭も飼っているの?それで“今度子供も生まれるのよっ”て、、、。ちょっちょっと待ってくれ。馬12頭飼っているって、、、。繁殖させているんだって?それは悪い冗談だ。だからいつも日に焼けていて、お肌もお手々もガサガサなんだって、、、嘘だろう?彼女をおちょくると、今度は顔を真っ赤にして怒る。涙を流さんばかりだ。彼女が言うには、多少のお金はかかるけれど、米国で馬を飼うには対しておカネはかからない。“少しばかり”の土地と、小屋と、多少の経験があれば、たとえば私にだって馬は飼えるのだという。私にその気があれば安く馬を売ってくれるとまでいうのだ。ううむ、、、、。この人は実はお金持ちで、たぶん貴族の末裔かなんかで、親の財産で食べていて、クラークは暇つぶしなのか?と思ったらそんなことは無く、彼と別れてからは完全に独力で、誰の助けも借りずに生きているのだと主張する。馬も自分が独力で、たまに専門家の手を借りながら世話しているのだという。確かにこの人が乗馬服を着て、真っ白い馬なんかに乗って草原を走ったらしびれるほど美しい景色が見られるとは思うのだが、それにしても12頭の馬。こんなに小さい体で、、、。

結局そのお金を盗みに来た元恋人のことは、警察と連絡を取るよう勧め、多少の手助けをし、解決につなげることができた。その後Kathyとはさらに親しくさせてもらったのだが、家が近いにもかかわらず、彼女の馬を見せてもらう前に、残念ながら帰国することとなってしまった。

普通の公務員が、望めば10頭以上の馬を飼うことができる国が米国なんだなあ、と、国としての基本的体力の違いを骨身にしみて感じた出来事だった。そういった切り口で見れば、米国は日本と比較して桁違いに豊かな国なんだなあ。

あと一人、強烈なCharacterをもっていたクラークのJimについて思い出した。忘却の彼方に消し飛んでしまう前に、彼について書いてみようと思う。暇な人は乞うご期待。

タグ:留学
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