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素晴らしい同僚たち 2. ミネソタのM :軍人として生きるということ [留学]

素晴らしい同僚たち 2. ミネソタのM :軍人として生きるということ

Mはかつて軍人だったという。軍関係の仕事をしていた人たちに対する一般的なアメリカ人の反応は独特であり、私のような部外者から見ると、尊敬しつつなんとなく偏見を持つ、といった趣を感じさせた。(失礼があったらすみません)在郷軍人(Vet.と呼んでいたし呼ばれていた)たちの結束は固く、Vet.同志、もしくはその家族同士が、なんというか、大きな家族のようなつながりを持って、お互いに助け合うといった独特の文化が醸成されているように思われた。病院で初めて出会った人を、Vet.同志というだけで自分のクルマで家まで送ってあげたり、食事に招待したり、いくら田舎の小都市と言ってもあまり一般的なアメリカ社会で行われていないような付き合い方を目にすることが頻繁にあった。そのように記憶している。蛇足だが、私がレジデントになった頃は、在郷軍人病院があるようなところは、とんでもない田舎なのだ、と教えられていた。

私自身も在郷軍人病院で数年間働いた経験があるわけだが、アメリカでは基本的によそ者(外人)であり、実際には軍関係者ではないため、当初はその文化の中に入り込むことは難しいのではないかと思われた。しかし実際は、病院の中の売店や食堂で、いろいろな人たちが背は高いが毛が真っ黒で頭がツンツンしている異形の私に気にせずどんどん話しかけてくる。道を聞いてくる人さえいた。なぜ私に?短い雑談(small talkという)は、完全な口語であるため、私には結構難度が高かった。ともあれ、確かに私も外側から見れば在郷軍人病院の職員に見えるわけではあるが、なんというか独特の親密さを感じさせられて、なんとなく雰囲気に飲み込まれてやがて一体化してしまった。客観的にはどう贔屓目に見ても異端者である私が、大きな集団に無理なく自然に帰属することが出来て、正直に言えば、普段は孤立しがちであったためか、居心地がとてもよかった。

入院していたお年寄りの在郷軍人と太平洋戦争(と記載してよいのだろうか)について話をしたときにはさすがに緊張した。その際は、相手が私に割り当てられた患者さんであったため、自分が日本人であることを正直に伝えたうえで、治療にあたらせていただいた。幸いにしてコミュニケーション上の大きな問題はなかった。しかし心情的にはどうだったのか、患者さんでない私には本当のところはわからない。病棟で仲良くなり、冗談などを交わすようになった精神科の患者さんたちが、B29 のプラモデルをこれ見よがしに私に見せてげらげらと笑ったりしたことがあった。私は怒り出すわけにもいかず、自然に笑うことも出来ず、どんな反応を返せばいいのか困惑してしまい、ヒジョーに厳しい、居心地の悪い時間を味あわされた。外国で仕事をするというのはなかなか厳しいことだ、と思うのはこういう時だ。

Mは軍隊で、大陸弾道弾の発射に関する、とある重要なミッションについていたそうだ。国家の機密にかかわることなので、何をどうやっても軍の仕事に関することは全く口を割らない。であるから、軍隊関係の仕事についてはあまりたずねないことにしていた。尋ねるとなんだか物悲しい顔をして微笑むようになってしまったからだ。Mは小柄で筋肉質、服装に気を使うおしゃれな男で、後に私と同年齢であることを知った。ということは、7-8年は軍隊で働いていたということになる。立派な軍人さんだ。恐らく何らかの業務で高く評価され、頭脳明晰であることが明らかとなって、結果として軍の後押しで医学部に進学する機会を得たのだろう。彼は一切自慢はしなかったけれど。努力を重ねて学業を立派に修めて医学部を卒業し、偶然私と同じ大学病院や関連病院の一つである在郷軍人病院に勤めることになったというわけだ。Mは乗り物が好きで、“でかいエンジンのクルマが好きだ”といってなぜか真っ黒でピカピカの、大きなエンジンを積んだNissanを愛していた。アメ車は全然だめだと言っていた。それ以外にも大きなバイクとか、古いオープンカーとか、家を訪ねたことこそ無いが、エンジン付きの乗り物を沢山所有していたらしい。

彼は結婚はしていないもののものすごく年下の婚約者と同居しており、その子はなんというか、おとぎの国のお姫様のような、現実離れしたやや幼い姿かたち、服装をしていた。軍隊で働いた背景を持つ、マッチョでクルマ好き、ロリータ趣味?(失礼があったらすみません、しかし他に適切な言葉が出て来ないのです)という、まるでアメリカという国を体現したような、力持ちではあるが、大きな赤ん坊のような男だった。彼は明るく、いつも笑っており、人を引き付ける魅力に富んでいた。気を使って周囲の人たちに常に話しかけ、レジデントたちの厳しい研修の場を盛り上げようとしていた。もちろん私も彼のことが大好きだった。軍隊における彼の立場は自分にはよく分からなかったが、兵隊であると同時に医師であることで、かなり高いポジションに据えられていたようだ。時に軍隊に同行して、遠くまで飛行機で飛んで行って、兵隊の世話をしたり、講義をしたりしていたようだ。いわゆるActiveDutyに携わることはないが、軍隊の活動には常に関わっていたようだった。

レジデンシーも学年が進むと、入院だけではなく外来も受け持つようになるのだが、希望すれば在郷軍人病院で働くこともできた。経済的に苦しいレジデントの中には、週末に家族との時間をあきらめて、外部の病院で働き、お金を稼ぐような奴もいた。結構高額な給料をもらっていて実はものすごくうらやましかった。私はいくつかの理由で在郷軍人病院での外来研修を選んだのだが、Mも当然のようにそれを選んだ。“軍人の事は軍人が一番よく分かる”と言って。

私はたまたま興味があって、PTSDに苦しんでいる兵隊さんたちを自ら沢山Careしたのだが、彼も同様で、時には休日を返上して手当も出ないのに外来をやったりしていた。たまに手伝いをかって出ると、彼は非常に感謝してくれた。”Vet.に代わってお礼を言うよ”なんて言っていた。また、アメリカの軍隊の文化では、誰も口には出さないものの、“精神病は心の弱さのために起こる”という考え方、感じ方が根強く残っており、(陸軍、海軍、空軍、沿岸警備と、それぞれに文化が違って、行動様式や考え方の方向性はずいぶん違うようだったが)精神的に不安定になってしまった兵隊さんたちをCareするときには非常に気を使った。医者は上官として扱われるので彼らは基本的には我々に絶対服従だが、兵士としての誇りを傷つけないように、デリケートに扱う必要がある、ということだ。Mは誰よりもこのことに敏感だった。

PTSDの患者さんの講義を受けるときなどは、突然興奮して真面目な顔をして立ち上がり、“兵隊たちはストレスでおかしくなったんじゃない、脳が壊れただけなんだ”“心が弱いんじゃない、脳の問題なんだ。ここにいる皆にはそう理解してほしい”などと一くさり語ったものだ。恐らくそんなMを煙たがっていた人たちもいたのだろうとは思うが、個人的には立派なかっこいいアメリカの男だな、と尊敬していた。

Mは“レジデンシーが終わったら、牧場を買って(日本人の私には理解できない、そんなもの買ってどうするんだろう?)車をいじりながら、兵隊の面倒を見て、家族と一緒にのんびり過ごしたい”、とよく話していた。最近はどうしているか、卒後連絡は取っていないが、私にとって最もアメリカを感じさせる同僚がMだった。彼は今頃Big Daddyになっているのだろうか?


その後、彼は小児精神科医になる道を選んだらしい。

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