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5-2. 精神科医としての成長について [留学]

5-2. 精神科医としての成長について

それで自分はなにをしたか、ということなのだが、おぼろげな記憶によれば、最初にしたことは精神療法(いわゆるカウンセリング)の勉強だった。今ほど情報があふれていない当時、勉強するといえばやはりまず本を読むことだった。あるお気に入りの(尊敬すると書くと怒られそうなので)先輩筋にあたる方から、“雑誌の特集などではなく、成書を読みなさい”と指導されていたため、背景の知識もないままにそれらしい本を片っ端から読んだ。医学書というのはふざけた値段がついているため、若かった私には大きな負担であったが気にせずに買い漁った(本当はすごく苦しかった)。いわゆる名著といわれるような本を片っ端から手に入れて読んでみた。立派なことが書いてあるだけで具体的に治療のイメージが全くわかない本もあった。小さくまとまっており、一行一行が宝石のように輝いてみえる本もあった。しかし本に記されていることの本当の意味が分かるのはある程度精神療法ができるようになった人たちなのであり、初学者にはなかなかハードルが高い、というのが当時の偽らざる感想だ。勉強したいので本を読む→本に大変有益な情報が記してある→本当の意味を理解するのにはある程度の知識と経験が必要→せっかく本を読んでもどうもいまひとつわからない→外来での治療に自信が持てない→勉強したいので本を読む、、、、。という残念なサイクルがぐるぐる回って時間だけが経っていった。焦った私は周りにいた優秀そうな先輩方に相談した。

いろいろな方々がおられたが、ほとんどすべての方が何らかの指導をしてくださった。ありがたいことだ。例えばある先輩は数冊の本を下さって、勉強会に出席する便宜を図ってくださった。当時は、おそらく今もそうなのだろうと思うが、精神療法の勉強会は個人情報をある程度扱わざるを得ないため、参加は守秘義務を持つ職種の方に限られている。それは当然だと思うのだが、勉強会によっては参加者からの紹介がないといくらお金を払っても参加させていただくことはできないこともある。そういう特別な勉強会を紹介していただき、参加させていただいた。ご自分の勉強する権利を譲ってくださるようなこともあり、困り果てていた私には非常にありがたかった。そうやって先輩に甘え、ずいぶん勉強させていただいた。しかし勉強会に参加するだけではやはりこの手の勉強には限界があり、自分で症例を出して、恥をかきながら直接指導していただく必要がある。わかる人にはわかるだろう。しかし参加者が数十人いる勉強会で症例を出させていただいたとしても、せいぜい年に数回程度の指導しか受けることができないので、やはり個人的な指導者を探すしかないわけだ。しかしそうはいっても毎日ボロボロになるまで働いている自分にはなかなかそういったコネもなかったし、なにより時間が捻出できない。どうしたものか。やはりこの時も、私に手を伸ばして力を貸してくださった方がおり、素晴らしい指導者をご紹介いただいた。時間的にも柔軟に対応し、包み込むようなやさしさでご指導いただいた。それでしばらくの間、その先生について勉強し、現在につながる精神療法のスタイルの原型を作ることができた。精神療法というのは医療ではあるが、科学というよりは芸術のような側面が色濃く残っている技法であるため、不断の努力で技術を磨き続ける必要があるのだが、そういった芸術的な側面の基礎、つまり絵で言えば筆の使い方とか色の作り方のようなものを教えていただくことができたように思う。まあ教育を受け取る私側の限界があるため、必ずしも先生の意図したように私が成長したかどうか疑問がないわけではないが、その先生の教育にどれだけ私が救われ、感謝したか、筆舌に尽くしがたい。ほんとうにありがたかった。芸というのはどんなものでも大体10年くらい修業しないと一人前に離れないものだが、粗忽な私でも10数年くらい身を入れて修業すれば、それなりの治療者に慣れるのではないか、などと自惚れ、将来の夢を見たた。それで、当時の私は、例えば開業して、精神療法を主体とした精神科医療に身を投じよう、などと考えることもあったのだが、一方で、大きな病院でしかできない検査や治療に対する未練のようなものも当然感じていた。私は迷って立ち止まってしまった。

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