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0-1.精神科医になるということ [留学]

0-1.精神科医になるということ
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子供のころから日本ではないところで仕事をすると思っていた。”そうしたい”ではなく、なんの理由もなく”そうするのだ”と信じ込んでいた。根拠は無い。両親は二人とも純潔大和民族、純ジャパというやつだ。だから私の思い込みは、子供らしい万能感に基づいた希望的観測というやつだろう。このおかしな思い込みは、自分にとっては全くもって当然のことであったから、誰かに話したり、相談するようなことは全くといっていいほどなかった。口を挟まれるのが嫌だったのかもしれない。家族がバラバラになることを病的に嫌う母のことが関係していたのかもしれない。おかしな話ではあるが、”早くはやく、早く行かなくちゃあ””早くしないとダメになってしまう”と、何がどうダメになるかは謎なのだが、毎日意味もなく焦っていたような気がする。小学校の頃の話だ。中学高校と進学しても、この気持ちに全くかわりはなかった。我ながらおかしなものだ。しかしたしかにそれはすべての始まりではあった。


その後、とある特殊な学問を修めようと、あまり合理的とは言えない努力をした。なかなかうまくいかないため、当時大学の教官をしていた友人のお父さんに相談してみたところ、”簡単な入り口を探して、努力を続けて少しずつステップアップしたら” などと、今ならばナルホド、と思えるような現実的なアドバイスをしていただいたのだが、青年期特有の潔癖さと傲慢さ、さらには持ち前の頑固な性格が災いして、柔軟な方向転換をすることができなかった。結果としてお世辞にも合理的とは言えない、愚かな試みを繰り返したのだが、私の全てをかけた努力は実を結ばず、若かりし貴重な数年間をドブに捨てることになった。今思い出してもけっこう凹むので、詳細を述べることは避ける。とにかく今の私に言わせれば、”甘ちゃん” だったのだ。

上記のお父さん先生に、”何年も遅れてしまったら、学究の道はあきらめたほうが良い” とさらにアドバイスされたのは決定的だった。引導を渡す、というやつだ。息子の友人、というだけで、自分の学生でもない私に、ありがたい指導をしてくださったものだ。今でも大変感謝している。この先生がいなかったら、その後の私の進路はどうなっていたかわからない。しかし当時は愚かにもその先生を憎んだりしたものだ。バカ丸出しである。ともあれ、大真面目に取り組んでいたことなので、深刻な ”敗北” を受け入れることは本当に難しかった。

優秀で密かに尊敬していた友人が、やはり人生の大きな転機を迎えたのだが、彼がそれを軽々と乗り越えて方向転換したことは、たいへん参考になった。捨てることを学ばねばならないと思った。I君ありがとう、あなたのおかげですごく助かりました。それで結局、学者をあきらめて臨床医になることにしたわけだ。人から見れば、よくある退屈な話だろう。しかし私にとっては人生初の、大きな ”敗北” であったことは疑いようがない。

タグ:留学
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